畦道のブログ

備忘録的なアイデアをメモしてるだけのもの

環境

人の8割は環境によって決まると考えている。


性悪説の根源は「環境と教育」。

もちろん人は悪ではない。

死刑囚だって目の前で人が苦しめば手を差し伸べるなんて記事も出るくらいだ。

人は環境によって良くも悪くも変化する、だからこそ教育が必要なのだと。


今一度人を評価する時に、その人の周りを見渡すと良い分析が出来るかもしれない。

白眉

何かにおいて群を抜いていることを白眉という。


自分は何かにおいて白眉となることがあろうか。


客観的に分析すると人生の中で白眉と言えたものは小学校の九九を早く言えたことくらいしか無い。本当にそんなちっぽけな事くらいしか秀でていなかった。


じゃあ何故こんなに自分とは無縁な言葉を気にするのかと考えた時に、努力の源は何かという考えに至る。

つまり、自分は何かにおいて秀でている(または秀でる可能性がある)と信じておかないと本当に努力をする意味など無くなってしまうからだ、、


達成した先の目標無き努力はただ、死刑執行を遅らせるための控訴請求を行う死刑囚と変わらない。人生の暇つぶしでしかない。


埋もれる恐怖と戦う。

教養

教養って何かと考えると、やはり常に吸収し続けることだと思う。


教養を得てきて何が良かったのかと考えると、自分より教養が無い人間に分からないことが、見え、そして分かり、考える、そんな時間が、機会が訪れる瞬間が存在するということ。


逆に教養が足りない(とある人に前に自分に対して言われた)時には、本当に自分は教養が足りないと痛感し、そして自分には見えず、そして分からず、考えることすら出来ない時間が存在し、教養がある人はその時間をコントロールしているのだ。


自分は分かっていると、知っていると、思い込んではいけないし、もっといけないのはそのように見せかけてはいけない。そこで満足してはならないからだ。


自分に対する説教として戒めとする。

知己

個人的に好きな逸話を一つ。


士爲知己者死(士は己を知る者の為に死す)-史記刺客列伝

司馬遷が編纂した中国史上最も有名な歴史書の中の一節。

刺客列伝といえば荊軻のイメージが強いかもしれない。(始皇帝を殺そうとした燕の刺客)

内容について色々語りたいが、リンクにて省略しよう。


原文9〜11 

https://ctext.org/shiji/ci-ke-lie-zhuan/zh


和訳

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1489686899


史記の紹介はまたぼちぼち。


誠実

誠実に生きること。


裏切られても、恩を仇で返されても


誠実に。


たとえ認めてくれなくても、分かってくれて、見てくれる人がいることを忘れちゃいけない、、、


楽して他人をダシにして得をする人間なんてのを気にしたら負け。


頑張ろ。