畦道のブログ

備忘録的なアイデアをメモしてるだけのもの

証明

思い出を愛することはもう許されないのだろうか。


許されなかった過去を振り返ることは更に許されないのだろうか。


理解を理解で苦しめた現実に何で蓋をすればよかったのだろうか。


問いは過去にあっても答えは何処にも無い。


今、好きなのではない。今、願っているのではない。ただ、好きでいて、願っていた、あの時に。あの時に抱いた自分が自分でいられた心を愛していたかった。


大きな否定で自分自身が蓋をされようとも、好きを貫いた自分の心の輝きだけは誰にも否定しきれなかっただろうと、今でも思える。


一方通行の道は運命に開かれた扉に繋がりますか。

いや、過去を願った罪を洗う川岸に繋がります。

訣別

過去に心を動かされたり心が囚われたりするのは一般的な健康というものに程遠く、弱いイメージを持たざるを得ない。


しかし未来にしか顔が向かない人間は馬と大差無い、謂わば馬鹿であろう。


今を噛み締め、歩むために。


過去の甘く危うい記憶が作ってくれた道は確かに足元にある。


明日の道は明日のためにあるわけではない。ずっと、それまでもずっと。これからもずっと。歩んでゆく道だから。

泥道

人生とは泥の中の畦道なのかもしれない。


右に寄っても左に寄っても答えのない未来のために今を精一杯歩く、果てしない虚無感。アドバイスなんて特にそうだ。誰もが自分の成功体験、失敗体験を意味のあった経験として半ば強引に捉え人に自信満々に語る。


なんて愚かな話だ、右を歩けば左の道は泥濘まず、左を歩けば右の道は泥濘まない。どちらに寄ったところでその話を受け入れられない聞き手が一定数ある以上、混沌とした泥の中で無駄に泥をかき混ぜているだけではないのか。


生きづらい。大多数が求める流れ、質を満たさなければ迫害される意見の山。

棚に上げた愚かさに対し絶望する。

普遍

変わりゆくものに花束を変わらぬものに拍手を、それでも自分は路傍の花として不変でありたいと願い続けるのは清々しく、また一方では愚かしいことかもしれない。


一緒に頑張ろうな!という言葉が自分には欲しくって、でも自分には甘くって、関われない簡単な言葉だと思うと過去を振り返ってやり直したくなる。


流されることによる薄情さの連鎖が路傍の雑草を踏みつけて行ったとしても内面から淡々と美しい華が咲かせられると言えるだろうか。


変わらぬ矜持を美しく保つ強靭な精神こそ、求められているのだろうか、、、

成長

久し振りにポエムを書きたくなった。


いや、いつも浮かんでるものをたまたま書き記したくなっただけというか。


自分は自分で良いと、自分自身で納得することはなかなか難しいし、その納得を、このポエムで表せたらと願って文字を記す。


昔の未熟な自分が書いた文字を見て心境の変化を感じられたかと言ったら、実のところ全くもって否であった。数年経っても自分の思いや考えは変わっていなかった。


芯の部分はブレたくない。今も昔もそう願って日々を生きるのみである。

前進

失敗はいくらでも取り返せる、、、


けど、

後悔はどう頑張っても無くせない、、、


前を見て必死に失敗するしかないんだ


簡単に失敗から得るものを得ることが出来る人間は数少ない。それでも人は自分の失敗と常に向き合わないといけない宿命を背負い生きている。


後悔している暇は無いんだ。