証明
思い出を愛することはもう許されないのだろうか。
許されなかった過去を振り返ることは更に許されないのだろうか。
理解を理解で苦しめた現実に何で蓋をすればよかったのだろうか。
問いは過去にあっても答えは何処にも無い。
今、好きなのではない。今、願っているのではない。ただ、好きでいて、願っていた、あの時に。あの時に抱いた自分が自分でいられた心を愛していたかった。
大きな否定で自分自身が蓋をされようとも、好きを貫いた自分の心の輝きだけは誰にも否定しきれなかっただろうと、今でも思える。
一方通行の道は運命に開かれた扉に繋がりますか。
いや、過去を願った罪を洗う川岸に繋がります。
訣別
過去に心を動かされたり心が囚われたりするのは一般的な健康というものに程遠く、弱いイメージを持たざるを得ない。
しかし未来にしか顔が向かない人間は馬と大差無い、謂わば馬鹿であろう。
今を噛み締め、歩むために。
過去の甘く危うい記憶が作ってくれた道は確かに足元にある。
明日の道は明日のためにあるわけではない。ずっと、それまでもずっと。これからもずっと。歩んでゆく道だから。
普遍
変わりゆくものに花束を変わらぬものに拍手を、それでも自分は路傍の花として不変でありたいと願い続けるのは清々しく、また一方では愚かしいことかもしれない。
一緒に頑張ろうな!という言葉が自分には欲しくって、でも自分には甘くって、関われない簡単な言葉だと思うと過去を振り返ってやり直したくなる。
流されることによる薄情さの連鎖が路傍の雑草を踏みつけて行ったとしても内面から淡々と美しい華が咲かせられると言えるだろうか。
変わらぬ矜持を美しく保つ強靭な精神こそ、求められているのだろうか、、、
欠点
自分の欠点をよく把握しておくのは転ばぬ先の杖、何かあった時に有効であろう。
しかし、把握しようと意識しようと直せないから欠点であることも確かだ。
意識しないほうがマシかもしれない。
成長
久し振りにポエムを書きたくなった。
いや、いつも浮かんでるものをたまたま書き記したくなっただけというか。
自分は自分で良いと、自分自身で納得することはなかなか難しいし、その納得を、このポエムで表せたらと願って文字を記す。
昔の未熟な自分が書いた文字を見て心境の変化を感じられたかと言ったら、実のところ全くもって否であった。数年経っても自分の思いや考えは変わっていなかった。
芯の部分はブレたくない。今も昔もそう願って日々を生きるのみである。
前進
失敗はいくらでも取り返せる、、、
けど、
後悔はどう頑張っても無くせない、、、
前を見て必死に失敗するしかないんだ
簡単に失敗から得るものを得ることが出来る人間は数少ない。それでも人は自分の失敗と常に向き合わないといけない宿命を背負い生きている。
後悔している暇は無いんだ。